2009年11月14日土曜日

ハッチンダール・キッシュ





1982年、金沢大学山岳部の遠征隊の一員としてカラコルム(西部ヒマラヤ/パキスタン)の山、当時未踏峰だったハチンダール・キッシュ 7163mに挑み、初登頂することが出来ました。

今日なんとなく、このハチンダール・キッシュという名前をグーグルで検索したら2chの「最強の大学山岳部はどこ?」というスレッドから、

> 80 :底名無し沼さん:2008/08/19(火) 21:52:40
> ハチンダール キッシュの金沢大学が最強。
> 酒井さんはガウリサンカールで亡くなったが。

という発言が引っかかって来ました。去年の発言ですが、その遠征はもう30年近くも前の事ですよ、びっくりです…関係者かな?

1つ前の日記に書いた黒部の奥鐘山や丸山の大岩壁を、ザイルを結んで一緒に登ったのがその酒井君です(当時僕の名字は滝波でした)。もちろんハチ ンダールでも、特に頂上が近くなって来た標高6,500m付近で、2人で4時間かけて40mの難しい岩場を登ったことを今でも覚えています。

そのハチンダール・キッシュも、アプローチ途中の氷河上からはじめてその頂上を仰ぎ見た時には「絶対登れっこない」と思いました。はるか高いところに絶望的に切り立った姿で輝いていたからです。

でも間近に見ているうちにやはり「登れる!」という感覚に満たされ、実際に成功することができました。客観的には、経験した事の無い高度での氷壁や岩壁のクライミング、空中に半分はみだしたような岩壁中のテントサイトなどけっこう危ない目にあいっぱなしだったのですが。

…思いがけず、昔の事を思い出してしまいました。

写真(上)は当時この遠征の記録が載った雑誌「岩と雪」の表紙。表紙の写真はハチンダールの頂上付近です。頂上の右下に小さくメンバーの一人が写っていますね。

写真(中)はその雑誌の記事中に掲載されたハチンダール・キッシュの全体像。

写真(下)はルート途中のC2(キャンプ2)。急な岩壁に張り付いた氷を削って作ったキャンプサイト(標高5,800m付近)。テントのすぐ外は空中 です。このサイト、作った時はなんてひどい場所だと思ったけど、以後C3、C4とルートをのばしてからは、ここに帰ってくるのが楽しみになりました。

5 件のコメント:

  1. 1982年当時、山岳部の隣の部室にいた者です。
    当時、私にとっては、同じ大学の人間が、誰も登ったこともない7000m超の山に登ったことはものすごい衝撃でした。
    この登頂の後、金沢武蔵の名鉄で展示会をされたと思うのですが、私はそれにも行かせていただきました。
    酒井さんは、あのころ、好日山荘かどこかでバイトをされていて、私たちのクラブの者は、酒井さんに色々と教えていただきました。
    > 酒井さんはガウリサンカールで亡くなったが。
    というのは、私が書いたものではないですが、新聞で酒井さんの死を知り(2度の滑落)、仲間と悲しい気持ちになたのをきのうのことのように思い出しております。
    貴重なものをありがとうございました。
    ちなみに、最近、吉田 憲司さんに遊んでいただいております(笑)

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  2. ワンダーフォーゲルの方ですか、今は亡きあの部室長屋、懐かしいですね。

    吉田さん…また懐かしい名前が(笑)。ハッチンダール・キッシュの鬼登攀隊長ですね。ずっと、年賀状のやりとりだけで、すっかりご無沙汰しています。よろしくお伝えください。

    酒井は当時、お城の近くにあったチャムランという登山用具店でアルバイトしていたと思います。酒井を知る方からコメントをいただけるとは、ブログ書いててよかった。

    ありがとうございました。

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  3. 投稿してすぐにお返事をいただいていたのに,申し訳ございません。
    一週間前に,吉田さんにまた遊んでいただき,そのときに「返事があったよ」と言われて,あわてて書いている次第です。

    吉田さん,いいですねえ(笑)。あんなとんでもない人なのに,全然そんなそぶりを見せない。私が,一番弱いタイプの人です。
     吉田さんに初めてお目にかかったのは,ちょうど1年くらい前です。そのときに,ハッチンダールキッシュの話をしたら「行きました。」と言われて,びっくりし,さらにはK2にも登頂したと。日テレのチョモランマにテレビカメラをあげた話をしたら,「誘われたけど行かなかった。」とか,もう私のレベルでは,信じられないような話が次から次へと出てきて(苦笑)。
     ほんと,すごい人です,あの人は。
     佐々木さんのことも,話題になりました。あらためてこのサイトを見させていただいたら,幸田浩子がでていて,私も好きなので(昨年コンサートに行きました。),おおと。あんまり身近にいないですから,幸田浩子のファンは。
     あとお酒(笑)。クライヌリッシュ1982(あの年のヤツ)ジョンミルロイセレクションとロイヤルハウスホールド1707アニバーサリーブレンドを隠し持っていますので,機会がありましたら。
     それからわがクラブの大先輩,中村元風さんのは,ちょっと驚きました。

     最後に酒井さんのこと。
     酒井さんは,ホントに優しい人でした。私らのようなハイキングクラブの人間にも,決して上から目線で何かを言うということもなく,知識経験をひけらかすということもぜったにせず,私たちの未熟な質問にも「そういうときは,こうすればいいんじゃないかな」と,全然偉ぶったところもなく,教えてくれました。
     だから私がいたクラブにも酒井さんのファンが多かったのだと思います。
     亡くなられて今年で28年目でしょうか。
     あらためて酒井さんのご冥福をお祈りさせていただきます。

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  4. 幸田浩子にお酒、同じ趣味とは嬉しいです(笑)。僕の方は見ての通りちょっとかじっているだけなので、お恥ずかしいですが。

    中村さんが陶芸を始められたのはあの遠征の少し前の頃でしょうか、まだ僕も部室に出入りしていたころにそんな話を伺ったように思います。クラブは違いますが僕にとっては陶芸の大先輩です。

    素敵なコメントありがとうございました。

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  5. 小島 雄志2017年12月4日 20:21

    http://everest.cocolog-nifty.com/gassan/
    上の記事で吉田憲司氏の名前を見つけました。
    私は吉田氏が日本とポーランド合同隊に参加していたのは知りませんでした。
    合同隊が登山を中止した後に、ボイティク・クルティカが吉田氏と登りたかったのは、
    彼の実力と人格を評価したからではないかと私は想像します。

    私が以前に在籍していた山岳会のOBが、シャモニで吉田氏にガイドしてもらっていました。
    その人に私が198年にシャモニに行くときに、吉田氏へのお土産を持って行くように頼まれまれました。
    それが私と吉田氏との出会いでした。

    1981年のシャモニには、アルテリア社長の鈴木恵磁氏、日本登攀クラブの米井輝治氏などの実力者がいました。そしてもう一人の実力者が吉田氏でした。

    私は1982年にシャモニに再び行きました。
    ハッチンダール・キッシュを登った後に酒井氏が秋にシャモニに来ました。
    彼が時計を持ってなく、私が栃木県足尾の松木沢で拾った安物の腕時計をあげました。
    後日彼はワインを持参してお礼をしに来られました。
    そんなことしなくていいのに。。なんて律儀な人なんだろうと思いました。

    酒井氏が初登攀したカネコロン登攀中の写真も鮮明に記憶しています。

    酒井氏がガウリサンカールで遭難した記事を山岳誌で読みました。
    酒井氏が二度目の滑落で亡くなった。
    残念至極です。

    相方のO氏とは1982年のシャモニで数回登ったことがあります。
    そのときの経験で遭難の状況はおそらく。。想像できました。

    酒井・滝波パーティで奥鐘山西壁(中央ルンゼでした?)のフリー化。ハッチンダール・キッシュ。
    その時代のエポツクメーキングな記事は覚えているものですね。



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